直虎ゆかりの地めぐりの記事です。関連記事はこちら

成長した虎松(後の万千代・井伊直政)演じる菅田将暉くんも登場して、物語もいよいよ終盤にさしかかってきました。

馬防柵

10/15放送の大河では、織田から徳川へ武田軍との戦 (長篠の戦い) に備えるために大量の材木を調達せよとの御達しがあり、その情報を聞きつけた万千代(後の井伊直政)が初陣を飾るべく手柄を立てようと奔走する場面があります。動画はこちら

 

なぜ、そんなにも大量の材木が必要だったのかといえばこれ!!

・・・そうです。

前の記事にもちらっと登場しましたが、この馬防柵を造るためです。

 

 ※Wikipediaより

 

武田と言えば騎馬隊。最強と言われる騎馬隊をこれで防いで鉄砲で迎え撃とうとしてしたわけですね。これは明治になって復元されたものですが、造りは当時のままを忠実に再現されています。近くでみると結構な大きさだし、復元されているところだけでも割と広範囲にわたって建てられていました。そりゃ、相当な材木が要るわけですな。

 

馬防柵についてわかりやすく解説している動画があったので貼っておきます。

 

場所はというと、設楽原歴史資料館付近です。連吾川という小さな川沿いに馬防柵はあります。

 

奥平仙千代の墓所

馬防柵からほど近い場所に、長篠城主・奥平貞昌の次男である奥平仙千代の墓所があります。

こちらの説明書きにもある通り、仙千代は武田へ人質に出されておりました。ですが、身内が徳川へと寝返ったため、武田勝頼に殺されてしまいます。

 

 

徳川へ寝返った仙千代の父・奥平貞昌はのちに長篠城主となるのですが、長篠の戦いで武田の猛攻に追い詰められていました。そこで織田・徳川勢に援軍を願い出ることにした貞昌。その使者に名乗りを上げた鳥居強右衛門は、武田軍の包囲網をかいくぐり岡崎城へと急ぎます。徳川側もそのつもりで手筈を整えていたことを知り、一刻も早くそのことを味方に伝えようとするのですが武田勢に捕まってしまいます。

「援軍はあと二、三日で来る。それまでの辛抱である」

援軍はこないと伝えよという命令に背いた強右衛門は結果的に殺されてしまうのですが、そのことが貞昌たちの志気を高めることとなり援軍が来るまで城を守り抜きます。

 

 ※Wikipediaより

 

長篠に行くとちょくちょくこのような画を見かけますが、この人物こそが鳥居強右衛門です。