なにか思ふなにかは嘆く世の中はただあさがほの花の上のつゆ 詠み人知らず
何をそんなに嘆いておられるのか 世の中なんて朝顔の上の露ほどあっけなく儚いものなのに

 

藤原清輔の「袋草紙」に釈教歌 (清水観音の御歌)として掲載されており、それが新古今和歌集に選歌され「詠み人知らず」として収録されました。

 

 

何のためにと問い出すといずれは死んでしまうのにという極論に達して、やることなすことすべて無意味に思える時があります。常にそういうことを思っているわけではなく、思わぬところでフッとよぎることがあるのです。

 

あっけなく儚いこの世の無常はすべて無意味に思えても、一方でその無意味なものに縛られてあれこれ思い悩んでいる・・・。どれほど思い悩んだところで、この世を去ればすべては無意味なはずなのに。

 

世の中なんて朝顔の上の露ほどあっけなく儚くてどーでもいいものなのに、そんなことに思い悩んでどーすんの? アッケラカンとそう突かれると、改めてその矛盾に気づかされます。

 

掲出歌のような歌に出会ってそういうことを意識するようになると、何のためにという意義を見出すよりも、やっていて楽しいとか感覚を重視するようになりました。そうしたら生きることが少し楽になって、それは自分にとっていい変化だと思っています。

 

悩みは尽きることはなく、これからもグタグタと思い悩むんだろうけど、どうせそれらは朝顔の上の露ほどのもの。それほど構えずに、自分の感覚に沿ってやりたいことをやりながら、楽しく生きることを優先したいです。