水菜はもともと生で食べられるぐらい葉も茎も柔らかいのが特徴だけど、「みどり柔らかく」とあるからまだ出立てなのかと思います。ウチの畑でも水菜を育てているのですが、今がまさにそんな時期。サラダにしても煮浸しにしても汁物に入れても良しで重宝しています。

 

 

「いつしか」の解釈によって歌意が違ってきますね。「いつしか」を“いつの間にか”と捉えるなら、いつの間にか芽生えていた思慕の葉がどんどん成長しつつあるのを自覚し、目の前のみどり柔らかい水菜と対比させていると考えられます。「いつしか」を“いつの日か”というように未来に向けて指すのなら、目の前の水菜のように淡い思慕だけど、この想いはますます“茂る”ことだろうと予感していると捉えることができます。

 

どの葉物野菜も柔らかいうちが一番美味しくて、薹が近づくと葉も茎も固くなり渋みも増してくるものだけど、水菜はすぐに筋っぽくなっちゃうしわかりやすいです。葉物野菜の中でも最もか細くて弱々しいだけに繊細ですね。なので、なるべく葉が若いうちに食べてしまいたいとせっせと消費しています。

 

思慕も葉物野菜と同じようなものかもしれないけど、より強固な“愛”となるのか、固く渋く食べられなくなって・・・あるいはそうならないうちに涸れてしまうのかはわかりませんね。採れたての水菜を手にしながら、なるべくなら柔らかくそれでいて強固でいてほしいとあれやこれやと妄想している今日この頃です。