鳴かぬ蛍が身を焦がす・・・。そんな蛍が舞う季節となりました。今回は、蛍にちなんだ和歌をご紹介します。

 

桂の皇女に式部卿宮すみ給ひける時、その宮にさぶらひけるうなゐなむ、この男宮を「いとめでたし」と思ひかけ奉りけるをも、え知り給はざりけり。
柱の皇女と式部卿宮が御所で一緒に住まわれていたとき、皇女に仕えていた7、8歳の少女が、式部卿宮のことを「素敵なお方」だとお慕いしていましたが、式部卿宮自身はそのことに全く気づいてはいませんでした。

 

蛍のとびありきけるを、「かれ、とらへて」とこのわらはにのたまはせければ、汗衫(かざみ)の袖に蛍をとらへて、つつみて御覧ぜさすとて聞こえさせける。
ある日、蛍が飛んでいるのを見て「捕って来ておくれ」と、(式部卿宮が) この少女におっしゃったので、少女は袖いた蛍をつかまえ、包んでいた蛍を見せながら歌を詠んだのでした。

 

つつめども隠れぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり
包んでも隠しきれないものは、蛍から溢れる光のような私の想いなのです

 

 

桂の皇女(孚子内親王)に仕えている少女が、主の元に通ってきている式部卿の宮(敦慶親王)に恋心を抱きます。蛍が飛んでいるある日、式部卿宮から「捕まえておくれ」と頼まれた少女は、袖で包んだ蛍を見せながら、部卿の宮に想いを打ち明けたのです。

 

これは大和物語に出てくる40段の物語。日本大学本の後撰集では「柱のみこの「蛍とらえて」といひ待りければ、童の汗衫の袖に包みて」とあり、柱のみこが蛍を捕るように命じたことになっています。文献によって、そのあたりのニュアンスが多少違っているようです。

 

出典
大和物語と後撰集の関係―『大和物語』第四十・第一二〇段の場合―