よもの山に木の芽はるさめふりぬれば かぞいろはとや花のたのまむ 大江匡房
四方の山々に木の芽を膨らませる春の雨が降れば、父よ母よと、花はこの雨を頼りにするのだろうか。

 

断続的に雨が降ったりとすっきりしない天候が続いています。こればっかりは自然のことなのでしょうがないですね。「芽吹きの雨」または「催花雨」といったところでしょうか。あるいはこの時期の雨のことを「菜種梅雨」「春霖 (しゅんりん)」などと呼んだりもしますね。

 

昔は、生父のことを「かぞ」、生母のことを「いろは」と言ったそうで、「かぞいろは」とは父母のことを指します。由来は諸説あるみたいです。一説によれば、紐状の長いものの意である“緒”は、「臍(へそ)の緒(を)」という意味も含まれており、そこから血縁を交わせている関係という「交はせ緒」の「かそ」から「かぞ」へ、“緒”で繋がった関係である「入れ緒母」から「いろは」となったのだとか。※参照 また江戸時代の手習い書では、父は“数”を、母は“いろは”を教えるからと説明されていたのだそうです。※参照

 

“はるさめ”だけではなく、光合成に欠かせない太陽もだし、根を張るための土だって、“花”を育む「かぞいろは」に違いありません。それは我々にとっても必要不可欠なものであり、あらゆる自然の恩恵を受けて生かされているんですよね。

 

あちこちで新芽がかわいらしく顔をのぞかせるようになりましたが、本格的な芽吹きや花の季節はまだこれから。美しき春の盛りがもうすぐやってきます。