これはね~、ぜひとも多くの方に読んでほしい本です。特にね、福祉に携わっている、またこれから携わろうとしている方は必読です。きっとこれからのバイブルになってくれると思います。

 

市役所の福祉課保護係に配属された新米職員・堺勇治が主人公。ケースワーカーの彼が、上司に連れられて1人暮らしの男性の家を訪ねる場面から物語は始まるのですが、冒頭のこの部分の描写でズドンとやられましたね。

 

とにかくそこがまぁ酷い惨状でして、荒ましいほどのごみ屋敷なのです。“この世のありとあらゆる汚物を詰め込んだような有様だった”と表現されていますが、そこに踏み込んだときの臭いや感触、そこの住人・岩住さんの風貌、反応・・・自分が実際にその場にいるかのような生々しさです。

 

のっけからこのような強烈な洗礼を受けた主人公・堺勇治の視点で、物語は進んでいきます。

 

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何でもそうですが幅広く対応しようと思えば、それ相応の度量が必要となります。だから多くの人がマッチングする「標準」に合わせて、世の中は動いていきます。

 

良くも悪くもそのようになっていて、その標準の枠に収まらないマイノリティーは時に不便を強いられたリ、苦労を抱えたりします。ほとんどのものが右利き対応になっているのは、その典型的なものですよね。

 

 

ですが、 憲法のこの文言は違います。

「すべての国民は、健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

 

マイノリティーだろうが「健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有することを保証されており、そのために存在するのが「福祉」というもの。この場合のマイノリティーというのは、いわゆる「社会的弱者」であり、何らかの事情で援助や保護が必要なケースのことです。

 

もちろん審査があり、援助や保護が必要だと申請さえすれば誰も彼もが受けられるわけではありません。血縁がいないかどうかを確かめ、いればそちらに依頼の交渉をするのもケースワーカーの大事な仕事。

 

でもそれは、その人の人生を引き受けてくれということであり、たとえ扶養義務があったとしても無理やり押し付ければいいというわけにはいきません。相手にするのは生身の人間であり、感情だってあります。

 

生きていれば何らかの形で栄養を摂取しなければならないし、眠る場所も必要だし、もちろん排泄だってします。その時だけのものなら快くできても、それが継続されるとなると負担はそれとは比べものにならないぐらい重くなりますからね。

 

仕事なら割り切ることができても、身内だからこそ我慢できなかったり、ドス黒い感情が渦巻いてしまうということもあるでしょうしね。

 

時にはどうしたって綺麗ごとでは済まされない人間のドロドロとしたどうしようもない、混沌とした闇の部分に真正面から向き合うことになります。時には冒頭のような“汚れ仕事”を担うこともあり、はっきりいってキツい仕事といえます。

 

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「すべての国民は、健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

憲法でそう保証されているものの、世の中は複雑すぎるほど複雑でそれはやはり理想であるという現実。両手に掬われた砂がサラサラとこぼれるように救われない人達がいて、主人公の堺勇治はその度にやり場のない憤りを感じ、深く傷つきます。

 

勇治が傷つくたびに、白井野典子をはじめとする先輩や上司が叱咤激励するわけですが、その言葉がグサリと響きます。

 

汚い、ってのは、いろんな意味がある。で、不潔ってのは、体に悪そうなこと。不衛生ってのは、ほんとに体に悪いこと。だから、不衛生なのは排除しないといけないけど、汚く感じることは、単にその人の神経の問題なわけ。ただ、それだけのことなのに、汚いからって無条件に排除するのは、いかがなものでしょうと。そう私は言いたいのです

隣人愛は温かいが、人類愛は冷たい、ってな。どちらか一方じゃダメなんだ。どっちも頭にねえとさ。感情移入ってのは、隣人愛だけなんだよ。温かい優しいきれいなきれいな気持ちさえあれば、弁護士とか看護師とかケースワーカーとか、ずっとやっていけると思うか?いっくら体力があって心が温かくたってな、冷徹な愛情っていうようなもんがないとやっていけないんだよ。わかる?

 

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誰もが聖人君子ではありません。心に余裕がなければ憤りだって感じるし、どんなにいい人だって愚かさ、弱さ、ずるがしこさを持っています。

 

私だってそうです。気持ちはあってそれに嘘はなくても、わかっていてもどうしても感情がついていかないときもあります。ごく普通に生活をしていたって、自分ってずるいな、優しくないなと自己嫌悪に陥ることは多々あります。

 

・・・優しさって何だろう。

 

 

例えば、職を失い自堕落になって堕ちていったような人たちに対してなら、きっと彼女は「正しい人間のあり方」を、優しくきちんと説くだろう。それはもちろん、正しいことだ。しかし、その人の今、にとっては、無理無用のことなのだ。彼らに必要なことは、当面の十分な補償と、弱さを理解する心と、そしてなによりも「許し」なのだと思う。

・・・そう、そうなのよね。それで撥ねつけられていいはずがありません。

 

 

一方で、現実というものもあります。生きていれば栄養を摂取しなければならないし、睡眠をとり、排泄をするということ。それが360日休みなく続くということがどういうことなのか・・・。

 

私は施設や病院の厨房だったり、契約の事務員として福祉施設で何年か働いていたこともあります。なので、その手助けを担うということ、雨風を凌げる安住の地があることが当たり前ではないことを、本当の意味ではなくてもほんの少しぐらいは理解しているつもりです。

 

守秘義務があるので具体的には書けませんが、支援を必要とする様々なタイプの患者さんや利用者さんと接して見てきました。なので、それが物理的にも精神的にも“余裕”がなければできないということもわかりますし、“支える側も”「十分な補償」と「弱さを理解する心」と「許し」が必要なのだと思っています。

 

どのようにすればいいのか、1人1人が考えていかなければなりませんね。福祉のあり方は、決して他人事ではないのだから。

 

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あっ、・・・そうそう。
最後になりましたが、大事なことをひとつ。

 

主人公の堺くんはなかなかのイケメンという設定です♪(^_-)-☆

では、また~。

 

 

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【追記】

著者の先崎先生自ら、Twitterでこの記事を紹介していただまきした。ありがとうございます!!

 

 

 

※後記

「歌人・だっさんのゆるりと道楽三昧♪」というのがそうで、このblogの旧タイトルです。