寺山修司氏といえば、歌人としてより「演劇実験室・天井桟敷」の主宰、映画監督や脚本家としての方がなじみが深いかもしれません。

 

一九七一年に刊行された『寺山修司全歌集』に「テーブルの上の荒野」を収録して以来、短歌を詠まなくなったと思われていた寺山氏。実はその後もいくつかの短歌を書き溜めていて、没後その原稿が見つかり大きな話題となりました。

 

その未発表の188首もの短歌を、「演劇実験室・天井桟敷」旗揚げメンバーであり、寺山氏の右腕として活躍された田中未知氏によって編集されたものがこの歌集です。

 

初期の寺山作品との違い

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 『空には本』
ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん 『空には本』
夏川に木皿しずめて洗いいし少女はすでにわが内に棲む 『空には本』
夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず  『空には本』
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり 『われに五月を』
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき 『田園に死す』 

 

初期の寺山氏の代表歌をいくつか挙げてみました。ずいぶん抽象的な言い方になってしまいますが、私の中ではたった三十一文字の中にアナログなフィルム映像がパァと浮かんでくるんですよね。それもなぜかモノクロの情景。

 

アナログが醸し出す独特の渋みというか奥深さみたいなのってあるじゃないですか。そんな叙情的で何ともいえない味わい深さが「ザ・寺山ワールド」だとしたら、著書の「月蝕書簡」は少しテイストが違っているように思いました。どう違っているのか、例えていうなればフィルムかデジタルかの差みたいなそんな感じです。

 

おとうとよ月蝕すすみいる夜は左手で書けわが家の歴史
暗室に閉じ込められしままついに現像されることのなき蝶
眼帯の中に一羽の蝶かくし受刑のきみを見送りにゆく
父恋し月光の町過ぐるときものみな影となるオートバイ
地平線描きわすれたる絵画にて鳥はどこまで墜ちゆかんかな
父ひとり消せる分だけすりへりし消しゴムを持つ詩人の旅路

 

これは全体的な雰囲気の問題なんですけど、「月蝕書簡」では持ち味であるアナログ的な味わい深さが少し変わっているように感じたのです。色もね、モノクロから若干色が足されているような気がしました。あくまでもほんのりと。この微妙なニュアンスは、私が感じているだけなのかもしれないけど。

 

 

本人の没後に、未発表作品を世に出すことについて

さて、本書は未発表歌集ということで、違和感を感じるという方も少なからずいるようです。本人の意思は本人でなければ知る由もありませんが、中には短歌として“ボツ”にしたものが含まれている可能性はなきにしもあらずで、それを発表しちゃってもいいの?っていう意見ですね。

 

綺麗に清書されている等“完成”とみなす基準は一応あったみたいですが、少なくとも歌集としては編集のなされていない「未完」なものであり、本人以外が編集すれば意とそぐわない部分だってあるだろうしね。まぁ、そういう意見もあるんだろうなと思います。マイケル・ジャクソンの時も、似たようなことはありましたよね。

 

私ならどうだろうなぁ。その一首が自分の中で“完成”されているものならば世に出してくれてありがとうと思うし、“未完”ならばちょっと複雑かな。編集に関していえば、勝手にどうぞやってくださいって感じですね。

 

自分の分身だもの。せっかくなら羽ばたかせてあげたいじゃないですか。どこにも羽ばたけないまま埋もれさせるぐらいなら、どんな形でも羽ばたかせてあげたいですね。その一首が自分の中で“完成”されているなら。

 

とはいえ「完成」か「未完成」かの判断は本人でなければなかなか難しいってのはありますし、あくまでも私ならという話です。

 

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あと最後のところに、寺山氏と歌人の佐々木幸綱氏との対談が掲載されているんですけど、これがまぁ高度すぎて知的すぎてですね。私の読解力では、言ってる内容の半分も理解できませんでした。(^^;) ただ「短歌は自分をワラ人形に仕立てて、それを自分自身が打つみたいなところがある」みたいなことをおっしゃっていてそれが心に刺さりましたね。私には、まだそこまでの感覚はまだないです。

 

寺山氏が短歌の世界から一旦身を退いた理由は何なのか、そしてなぜまた短歌を詠んでみようという気になったのか。私には、その明確な答えはわかりませんでした。

 

ただ、短歌を詠んでいる身としては、秀でた歌人が「再び短歌の世界へ舞い戻っていた」というその事実にとても勇気づけられました。