「シッカー」という仏教用語には、学ぶとか鍛錬するなどの意味合いがあるそうだ。私にとって、心の在り方を正常に保ち続けるのはとても難しい。常に揺れ動いていて、余裕がないときは人に対してきちんと対応できなかったりすることもあり、そんなときは自己嫌悪に陥る。

 

心の乱れをうまくコントロール方法論はいくらでも見つかるけど、だからといって一朝一夕で身に着くというものではなく、仏教のいうところの「シッカー」が必要なのだろう。怒りや嫉妬、不安、悲しみといった負の感情を克服するのはそう簡単なことではないから、失敗を繰り返しながら地道に鍛錬していくしかないのだとつくづく思う。繰り返し練習をして技術を身に着けるように。なかなか上手くはいかないけど、どうやらそういうものらしい。

 

そういうものでしょうと頭ではわかっていながら、すぐに結果を求めてしまうのは私の悪い癖だ。気長に向き合っていこうと思う。そういうものだから。