新緑のまぶしさに心躍らせているはずが、早くも梅雨の走りかというようなぐずついた天気が続いています。ただ、月形半平太の台詞「春雨じゃ濡れて行こう」にあるように、春の雨はしとしとと柔らかいです。雨ならば春に降る雨が一番好きかもしれません。

 

つくづくと春のながめの寂しきはしのぶに伝ふ軒の玉水 大僧正行慶
ぼんやりと春の雨を眺めている寂しさは、しのぶ草まで伝い落ちてくるあの軒の玉水のようだ

 

“ながめ”は「長雨」と「眺め」、“しのぶ”も「忍ぶ草」「偲ぶ」双方の意味がかけられています。こういった技巧的なところはいかにも新古今和歌っぽい。行慶は白河天皇の皇子であり、母は備中守源政長の娘。母方の祖先をたどっていけば、佐々木成頼と同じく源雅信にあたります。源雅信の娘である倫子は藤原道長に嫁いでおり、その娘があの紫式部が仕えていた藤原彰子。

 

 

類歌をざっと集めてみると

庭の面は降るとも見えぬ春雨の霞に落つる軒の玉水 中院通村
春雨はかすめる空に降り暮れて音しづかなる軒の玉水 京極為兼
つくづくと詠めてぞふる春雨のをやまぬ空の軒の玉水 肥後
春雨の降るとは空に見えねども聞けばさすがに軒の玉水  後鳥羽院宮内卿
春雨や蜂の巣ふたつ屋根の漏り 松尾芭蕉

とまぁ、たくさんあるんですね。調べてみるといろいろ発見があります。

 

 

行慶は「経政」という能の演目にも登場するみたいですね。仁和寺の御室御所に仕える行慶が、「青山」という琵琶を手向けて一の谷の合戦で討ち死にした平経政を弔っていると、経政の霊が現れるというもの。霊となった経政は、琵琶を弾きながら詩歌管絃を嗜んだ日々を懐かしむのですが、そのときに聞こえてきた雨音は琵琶の音を邪魔するものでしかなかったようです。雨音を気にする行慶に経政の亡霊が一言。

「いや、雨にてはなかりけり。あれご覧ぜよ、雲の端の月に並の岡の松の、葉風は吹き落ちて、村雨のごとくに音ずれたり」
いや、あれは雨音ではなく月に照らされた松の葉が風のせいでこすれている音なのです。

 

降るならば、つくづくと物思いに耽ってしまうぐらいの柔らかな春雨がちょうどいい。行慶もそんな風に思っていたのかもしれません。