とある漫画で「まだ心がパンツを穿いているよ」というセリフがあります。

これは新人女優に対して、監督が言ったセリフ。監督はこんなこと言っています。

 

「感情はただのエネルギー」

 

妥協しないことで有名な監督が、デビューしたての新人女優に対してなんどもNGを出すんです。何がいけないのかさっぱりわからないままびしょ濡れになりながら何度も何度も同じシーンをさせられ、女優のイライラは増すばかり。

 

そんな折、休憩中に女優がシャワーを浴びていると、いきなりガラッと浴室の扉を開ける監督。呆然とするその女優に向かってニッと笑みを浮かべると何食わぬ顔して去ろうとします。

 

ぶ  ざ  け  る  な  !!

 

思わずカーッとなり激高する女優に監督が語ったのは「それが本当のあなた」「それがどんな感情でもそういう内面からのエネルギーが人を感動させるそれが僕の撮りたいもの」・・・というものでした。

 

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今の自分はたぶん、監督のいう“心をパンツ”とやらをを何十枚、何百枚と穿いている状態です。blogにしろ短歌にしろ、意識していなくても読み返せばどこかで何かしらをセーブしているのが透けてみえるのです。

 

でも、何をどうセーブしているのかも自分でもわかっていません。表現している自分は間違いなく自分自身なのだけど、もっと自分をさらけ出しなさいよ、本当はそんなんじゃないでしょ!!と、心の声が訴えてきます。リミッターを外せと。

 

でも、それを怖がるもう1人の自分が、心のどこかにあるリミッターに手をかけるのを頑として拒み続けています。

 

この壁を壊さない限り、自分は表現できないし誰も心にも刺ささらないことはわかっているのですが上手くいきません。うーむ、これどうしたもんかな・・・。

 

いつになったら、“心のパンツ”を一枚・・・また一枚と脱ぎ捨て、あけすけになれるのだろう。

 

そんな悶々とした日々を送っていたとき、心のリミッターが完全に外れるとこうなるのだと身をもって示してくれた方がいました。

 

 

・・・そうです、話題の松居一代さんです。

 

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松居さんは、SNSを通じて怒りをぶつけることで感情を爆発させていますが、例えばそれがもし芸術などの“作品”という形でぶつけられたのならばとてつもなく素晴らしいものができるではと思ったりして。

 

現に、週刊文春の社長宛に書かれた手紙の達筆さは思わず目を見張りました。もともとものすごく達筆な方なのでしょうけど、ありとあらゆるすべての念が込められたあれこそ本当の意味での芸術だと思いましたね。

 

松居さんの肩を持ったりとか、していることがいいとか悪いとかそういうことを言っているのでありません。※ここ重要!!

 

良し悪しや真相は置いといて、彼女からの凄まじいほどの情念で「感情はただのエネルギー」を見事なまでに体現している松居さんを見ていると、なんだか圧倒されてしまってね、なんかすごいなこの人と思うわけです。

 

なんでもかんでもぶちまければいいってもんじゃないし、決してマネしようとは思わないですけどね。ある程度の節度は必要だと思うし。

 

 

ただ、何かを表現しているときの自分の心の在り方を振り返ってみたとき、方向性はともかくとしてあれだけのエネルギーをぶつけて自己表現している人に比べたらまだまだ全然足りていないなと思ったのです。

 

つまり、結局のところ何が言いたいのかというと、素直に自分をさらけ出してきちんと自分を表現できる・・・そんな自分に早くなりたいということです。

 

ではまた~。