湯川カナさんの「他力基本主義宣言「脱・自己責任」と「連帯」でこれからを生きていく」という本です。

何はともあれ、まずは「著者紹介」に書かれてある湯川カナさんの経歴をご覧ください。

1973年、長崎県生まれ。早稲田大学在学中にYahoo! JAPANの立ち上げにかかわるも、約6億円になったはずのストックオプションの権利を返上し、突然、言葉もわからないスペインへ魂の逃亡。糸井重里氏に見出され「ほぼ日」への連載を開始する。その後、神戸に移住。育児関連の翻訳や執筆で活躍。そのパワフルな生き方が内田樹氏や甲野善紀氏など多数の著名人に支持され、ラテンのノリで生き続ける。2013年、師事する思想家で武道家の内田樹氏の私塾「凱風館」のご近所に、「生きる知恵と力を高める リベルタ学舎」を開設。主な著書に『カナ式ラテン生活 ほぼ日ブックス#009』などがある。

 

Yahoo!  JAPANの立ち上げにかかわったり、突然スペインに移住して執筆活動を始めて、帰国したかと思えばリベルタ学舎を開設したり・・・。その行動力で、かなり思い切ったことをいろいろされています。そんな自身の経験を踏まえつつ、なぜ「自己責任」ではなく「他力資本主義宣言」という考えに至ったのかが説かれてあるのが本書です。

 

他力基本主義って何?

「甘える」という発想だ大嫌いでしたし、極端なことを言うと、「助けられるくらいならのたれ死んだ方がマシ」と思っていたくらいでした。

~中略~

そんな私がどうして「助けられる」を受け入れることができるようになったのか。それは、私が二度、どん底に落ちたからだと思います。

一度目は育児うつのとき。ひとりで子供を育てるのは無理だった。

そして二度目は、誰からも頼まれていないのに、勝手に社会的使命があると信じ込んで、「リべルタ学舎」を始め、経営がうまくいかず、借金し、居場所をなくし、仲間を失ったこと・・・。何もかもなくなった。

力つき、ぱったりと地面に倒れ込んで、それでも私には行きたいところがありました。

~中略~

夢中で持ち上げた、泥まみれの空っぽの空に、気が付くと誰かが優しく手を差し伸べてくれていました。そして、その手はどんどん増えていました。いつの間にか私は立ち上がり、また歩いていました。微笑んで。

湯川さんは言います。

なんでも自分でやりなさい。自分でやれることだけをやりなさい。みな、それぞれが背負える荷物だけ背負って進みなさい。もしも途中で行き倒れたら、それはあなた自身のせいです。努力と結果は相関します。だから失敗したなら、すべてあなたに責任があります。すべてはあなたの責任のもとに。「At  your  Own  Risk」

そんな「自己責任論、自力資本主義で語れるほど、ビジネスの世界は甘くない」と。生きていくのはたやすくないと。

 

もっと力を抜いて、他人を信じて委ねてみてもいいんじゃない?と。人間誰だって万能じゃなく得手不得手があるし、個性だってバラバラ。潜在的にある能力を尊重し、邪魔をしないで、それぞれがそれぞれの輝ける場所で能力を発揮できればそれこそが最強じゃない?と。それが湯川さんの考える「他力資本主義」です。

 

 

さらに詳しくは、こちら↓の動画で語られていますのでもし良かったら再生してみてください。

 

 

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あと、合気道の師範である内田樹氏との対談が掲載されているのですが、これがねすごく良かったです。内田氏の言っていることは、人によっては真逆であるべきと捉えるのかもしれないけど、私自身はもう共感しまくりでした。特に心に刺さった部分を、健忘禄として抜粋しておきます。

 

 

依存しあっても、みんながハッピーならそれでいい

内田 「自立」って、あんまりよくない言葉だと思うな。孤立するのはいかんです。いいじゃないですか、みんながお互い迷惑かけたりかけられたりして、多数の人間が依存しあっているので。

湯川 自立のための依存じゃなくても相互依存そのものがいいことだと。

内田 だって生きることの目標は「みんながハッピーに生きること」でしょ?そのためにどうすればいいか考えればいい。みんながニコニコしていれば、それでいいじゃないですか。結果オーライですよ。赤ちゃんに向かって「はやく自立して、自己責任で生きろ」と言わないのは、赤ちゃんに依存してもらうと、大人がしみじみ幸福になるからでしょ。

 

プリンシプル (原理・原則) に振り回されない

内田 自分が決めたルールというのは、それまでの経験に基づいて導き出したルールだから、前に経験したのと同じ状況にに適応できるけど、当然ながら前代未聞の状況には対応できない。そして、僕達はけっこう高い確率で前代未聞の状況に出会う。なまじプリンシプルがあると、それに足をとられて判断を間違うことがある。「なんか、やりたくないけど、これまではずっとやってきたことだから、今回もやるか」というような判断をすると結局失敗をすることが多いです。でも、「自分にはプリンシプルない」って決めつけるのもある種のプリンシプルだよね(笑)。だから、「プリンシプルがあったりなかったりする」というのが、僕のプリンシプル。

湯川 うーん、それってどういうことなんでしょうか。ただの「気分」、というのも違う気がします。

内田 気分というのも違うな。臨機応変、融通無碍ということですかね。一番できのいい生存戦略って「生存戦略を固定的に決めないこと」なんじゃないですかね。

引用元: 他力基本主義宣言「脱・自己責任」と「連帯」でこれからを生きていく

内田 ~省略~ これは私に善行をする機会を与えてくれたありがたいことなんだからすべて引き受けるべきだ」なんてやっちゃダメです。そんなことをしていると、だんだん心がねじれてきちゃう。こういうものは「べき」でやるものじゃない ~省略~

湯川 その切り替えはどうしたらいいのてじょう。

内田 自分の中をモニターするんです。身体の中にはそのことをすると「生命力が高まる/低まる」を示す針があって、それが振れるんです。~中略~ これがすべきことなのか、しないほうがいいことなのか。頭で考えても判断できない。こういうことは身体に任せる。自分の身体の中にあるそういう微妙な装置を信じる。

引用元: 他力基本主義宣言「脱・自己責任」と「連帯」でこれからを生きていく

 

「好き」とか「嫌い」とかじゃなく、コンディションとか心理状況とかによって、それが負担になったりならなかったりもするし。私も「〇〇すべき」という観念に縛られるのは、継続を難しくするひとつの要因だと思っているので、状況にもよるけど身体の指針になるべく従うようにしています。プリンシプルに振り回されたあげく、それが負担となって心がねじれてしまってはお互いにとって良くないですもんね。

 

 

問題解決はしちゃダメ!

内田 組織の中ではいろんなことが起きるわけです。きちんと指示が伝わらないとか、問題意識が共有されないとか、派閥抗争があるとか、そういうものは組織の生理過程なんだから、問題だ、ソリューションだって言ってたらキリがない。そんなのはほっときゃいいんだよ。

湯川 「ふーん」って流しておけばいいのですか?

内田 組織も生き物なんだから、いろいろあるのよ。人間だって腹が減ったらご飯を食べるし、夜になったら寝るし、風呂に入らなければ臭くなるし、それと同じですよ。組織だって、生き物なんだからいろんなことが起きる。派閥抗争なんてあって当然、嫌な奴なんていて当然。

湯川 これでいいのだって、バカボンのパパみたいに言っておけばいい?

内田 問題を探したり、対応策を論じたりする暇があったら、もっと生産的なことをすればいいじゃない。今の大学みたいに、たばこを吸うなとか、車で来るなとか、酒を飲むなとか、あれこれルールを作ると、ルールが増えるごとにどんどん学術的なアクティビティがさがってゆく。そうに決まってるじゃない。~中略~ ルールなんか簡単でいいんですよ。「常識的にやってくださいね」ぐらいで。「常識的にお願いします」で、ある程度時間がたつと、いい加減のところにだいたい落ち着くものなの。人為を介在させずに、なるべく組織の自然過程に任せておく。

引用元: 他力基本主義宣言「脱・自己責任」と「連帯」でこれからを生きていく

 

 

コンセプトよりもリアルな場を作るほうが大事

内田 何も始まってない段階で、「こういうスタッフを集めて、こういうプロジェクトを展開しよう」なんて思ったら、それだけでがんじがらめになってしまう。出発地点で自分を縛るようなことは絶対にしちゃダメ。共同体って、自分ひとりの知性や想像力では思いもつかなかったことを実現するためのものなんだから。ブレークスルーをするために共同体を作るのに、「ブレークスルーするための共同体の設計図」の下絵を自分で描いてどうするのよ。「予想範囲内で、予定通りに起こるブレークスルー」なんて論理矛盾じゃない。

引用元: 他力基本主義宣言「脱・自己責任」と「連帯」でこれからを生きていく

湯川 共同体を作らなければと思う人が、もし「最初何をやったらいいですか?」って相談してきたら、答えは「リアルな居場所を作れ」ということなのですね。

内田 そうだね。しっかりした基礎を作ること。

湯川 「居場所」って普通、概念的に使われると思うんですよね。たとえば「みんなが笑顔であるような居場所を作ろう!」とか。でも先生が言われる「場」は、直接的な意味であって、ものすごくとてもリアルな意味での「場」なのですね。

~中略

内田 道場のベースはきちんとしているよ。建物としてもしっかり作ったし、財務的にも安定してるし。だから門人たちは何の心配もなく、好き勝手に遊べるんじゃない。土台がグラグラしてたら楽しめないでしょ。

~中略~

湯川 思想とかイデオロギーとかの話ではなくて、どこまでも本当に現実的な「場」の話なんですね?

内田 道場の場合は、まずそれでしょ。天井の高さとか、壁や畳表の材質とか。そういうことは徹底的に考えました。

~中略~

内田 あのね、コンセプトなんかいらないです。手触りとか匂いとか、そっちのほうがずっと大事。

引用元: 他力基本主義宣言「脱・自己責任」と「連帯」でこれからを生きていく

 

他にも取り上げたい箇所はいくつもあるんですけど、キリがないのでこのへんで。つまり、内田氏の言わんとすることは、頭でっかちになりすぎて本質を見誤るなってことだと私なりに解釈しました。

 

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なかなか人に頼れない、いろんな背負いすぎて頑張ってしまう・・・そんな方に特に読んでいただきたい一冊です。ふっと肩の力が抜けて気持ちが楽になりますよ。