花散らふこの向つ峰(お)の乎那(おな)の峰の州(ひじ)につくまで君が齢(よ)もがも 作者未詳
花の散っている向こうにある乎那の峰が風化し、やがて州となって湖に浸かるほどに、あなたにはどうか長く生きていてほしい。

万葉集 巻14-3448

 

↑が、一般的によく知られている口語訳です。意味合いとしては「君が代」の「さゞれいしの 巌となりてこけのむすまで」に近いものがありますね。個人的には、↓の解釈のほうがしっくりきます。

 

花散らふこの向つ峰の乎那の峰のひじにつくまで君が代もがも
(波奈治良布 己能牟可都乎乃 乎那能乎能 比自尓都久麻提 伎美我与母賀母)歌意が取りづらい歌である。「花散らふ」は「桜の花が散っている」ことだが、通常目前の桜の散る様を言う。当たり前である。少し離れて桜を見れば散りつつあるか否かなど分からない。「向つ峰(を)の乎那(をな)の峰(を)の」は「向かいの山の乎那の峰の」という意味だが、桜の花が散っている様子など分かりようがない。「ひじにつくまで」は「州(ひじ)につくまで」ないし「泥(ひぢ)につくまで」と解釈され、浜名湖のことと想定されるのが一般解である。このままでは解しがたいので「花散らふ」は「花が散る季節」と季節を補って解し、「ひじにつくまで」を「峰が州になるまで長く」と解してみる。が、峰が浸かって州になるのは桁違いの後の世のことだろう。目前の「花散らふ」現象とあまりにもかけ離れている。本当に歌意が取りづらい歌だ。ひょっとしてこの歌は主人(君)が重態に陥った際の歌ではなかろうか。そう思って全体の歌意を考えるとなんとか自然に歌意が通った。
「桜の散る季節が向かいの山の乎那の峰にやってこようとしている。その花が散って湖面に流れ込むまで、せめて主人が無事であってほしい」という歌である。引用元: 古代史の道

 

 

 

 

 

このように万葉集にも詠われた乎那の峰は、三ケ日桜が咲くところとしても有名です。昭和63年に新品種として学会に発表された桜で、三ケ日地方にしか咲かない珍しい品種。八重でふわふわした感じのかわいらしい桜。遅咲きでソメイヨシノよりも4、5日遅れて満開になります。

 

 

もうそろそろ終わりかなと思っていたけど、綺麗に咲いてくれていました。