関ケ原の戦いに敗れ、三成が今まさに斬首されようとしているときのこと。三成が喉が渇いたので水を飲みたいと言うと、水はないが柿ならあると差し出されます。しかし三成は、「柿は胆の毒」とこれを断ります。これから死ぬ奴が何を言うのかと嘲笑されるのですが、「大志のある者は最期まで命を大切にするものだ」と毅然と言い放ったといいます。それが1600年11月6日のこと。

 

自分の身が消えゆくとしても、生きることを前提とした心持ちを失わなかった三成。「かがり火」とは命の灯であり、命尽きるその瞬間まで志を捨てずに生き抜いてやるという野心のようにも思えます。自分の身が消えゆくときは、できることならそうでありたいものです。

 

 

石田三成といえば、盟友の大谷吉継。茶会の際に、誰もがハンセン病を患っている吉継との回し飲みを避けていたところ、たったひとり平然と飲み干してお代わりまでしたのが三成。そのことに恩義を感じた吉継は、決して人望があるとはいえない三成に対して厳しいことを言いつつもずっと味方でいたんですよね。関ケ原の戦いで、有名どころの小早川秀秋をはじめ、五奉行の増田長盛や前田玄以らが徳川軍と内通していたとしても、吉継だけは決して三成を裏切ることはしませんでした。

 

「お前には人望がない、だから勝ち目はない」と徳川と戦うことに猛反対していた吉継。それは真の友だからこそ言える言葉。もし三成が吉継の直言を素直に受け入れていたなら、歴史はまた変わっていたのかもしれませんね。

 

嫌われ者のイメージも強く、私は三河人なのでバリバリ徳川の御膝下でもあるのですが、個人的には好きな武将の1人です。