小学生のころ、一週間ほど検査入院をしたことがあります。採血のとき、ある日ふと血液を入れる容器のラベルを見ると、カタカナで書かれている私の名前が間違っていることに気が付きました。苗字は合っているんですけど、名前が別の読み方で書かれてあったんです。

 

あっ、間違ってる!! と思いながらも指摘できなくて、それから採血のたびにラベルを見てみるとやっぱり間違ったまま。間違ってる・・・と思いながらも、最後まで言えなくて退院の日を迎えてしまいました。掲出歌と出会って、真っ先に思い浮かべたのがこのことです。

 

間違ったラベルの血液を検査に回して大丈夫だろうか・・・。それが私の血液だってちゃんとわかってもらえるのだろうか。子供ながらにそんな懸念があって、それでも言えなかった自分が妙に心にひっかかって忘れられません。この歳になって今でもあのとき言えなかったモヤモヤ感というのは拭えずにいます。

 

以来、血液や採尿の検査をするときには必ずラベルに目がいくようになりました。掲出歌と同じように、検査結果が良くあってほしいという祈りとともに、運ばれる“液体の自分”の行方を気にするようにもなりました。

 

 

世の中には“液体の自分”が運ばれるのを、それこそ祈るような気持ちで見守り続けている患者さんは大勢いて、新型コロナウイルスの影響でその人数はさらにさらに加速していくと思われます。それを懸命に支えようとする医療従事者の皆さんは本当に頭が下がります。

 

少しでも被害が拡大しないよう祈るばかりです。